河井寬次郞 카와이칸지로
明治23(1890)年8月24日島根県安来に生まれる。
松江中学校卒業ののち、東京高等工業学校窯業科に入学。
大正3(1914)年、京都陶磁器試験所に入所。
大正9(1920)年、 現在の記念館の地、五条坂に住居と窯を持ち独立、つねと結婚。大正13年には娘・須也子をもうける。
大正10(1921)年、第一回創作陶磁展」を開催、以降生涯にわたり、作品を発表。 作風は大きく、三期に分けられる。
中国古陶磁を範とした初期、「用の美」の中期、「造形」の後期。
昭和12(1937)年に、自らの設計により自宅を建築(現在の記念館)。
昭和41(1966)年11月18日、76歳で亡くなる。
河井寬次郎記念館
〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569
電話・FAX 075-561-3585
月曜休館 (祝日は開館、翌日休館、夏期・冬期休館あり)
10:00~17:00(入館受付16:30まで)
河井寬次郞
河井寬次郎記念館
작품보기
初期の作品は、中国古陶磁に倣った、技巧的で華麗な作品となっています。
個展デビュー当時より、高い技術力と完成度が評価され、絶賛されることとなります。
青瓷鱔血文金魚 【せいじぜんけつもんきんぎょ】 大正11(1922)年頃(32歳)
三彩果虫陶筥 【さんさいかちゅうとうばこ】 大正11(1922)年頃(32歳)
大正末期より「民藝運動」の中心メンバーとしても活躍する河井寬次郎は、人気を博した中国古陶磁のスタイルを捨て、
「用の美」を意識した暮らしの中に溶け込む品々を生み出します。
土瓶と各種湯碗
各種小皿 昭和17(1942)年頃(52歳)
流し描壷 【ながしがきつぼ】 昭和5(1930)年頃(40歳)
第二次世界大戦中は窯に火が入れられず作陶が中断しますが、戦後、仕事が再開されると、河井の作風はまた徐々に変化していきます。
「用」の枠をも越え、エネルギッシュで生命感溢れる力強い作風となり、不思議な造形世界へと向かいます。
碧釉扁壷 【へきゆうへんこ】 昭和39(1964)年頃(74歳)
黄釉筒描壷文隅切鉢 【きぐすりつつがきつぼもんすみきりはち】 昭和28(1953)年頃(63歳)
戦後の河井寬次郎は、木彫にも取り組みます。60歳~70歳にかけてのほぼ10年間、陶器と並行して生み出された木彫作品は、その数100点近くに及びます。
手や人物、動物などをモチーフにした木彫像から始まり、後半は、顔をモチーフにした具象、抽象の木彫面へと移行します。
これらの木彫は、ほとんど全て手元に残しましたので、当館においてご覧いただけます。
木彫面 昭和34(1959)年頃(69歳)
木彫像 昭和30(1955)年頃(65歳)
碧釉蓋物 1965年
「草花絵碗」 1940年頃
泣碗 1919年 京都国立近代美術館
1956年 没後50年 河井寬次郎展
海鼠釉片口 1933年頃 縦22×横17.4×高さ9cm
三色扁壷昭和38年(1963)頃 高30.3 cm
赤、黒、緑の釉薬を器肌に打ち付け、そのほとばしる滴のリズミカルな調和によって、
自由奔放な躍動美が表されている。自由な造形と装飾方法が取られており、晩年の寛次郎らしい作品である。
三色打釉手壺 縦15.5×横16.7×高さ29cm 1961年
「白地草花絵扁壺」 1939年
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