十二代 沈壽官- 沈壽官窯
本名 沈 壽官(ちん じゅかん)
陶歴
天保六年十月二十日 誕生(1835年)
弘化三年 陶工修行に入る(1846年)
安政四年 薩摩藩営陶器製造場 工長となる。(1857年)
慶応三年 フランス・パリ万国博覧会へ薩摩琉球国として陶器出品。(1867年)
明治四年 廃藩置県により薩摩陶器会社設立。工長となる。(1871年)
明治六年 オーストリア・ウィーン万国博覧会に六フィート大花瓶一対他を出品。大絶賛を浴びる。(1873年)
明治七年 洋食器生産の失敗により薩摩陶器会社倒産。(1874年)
明治八年 玉光山陶器製造場設立。(現在・沈壽官窯)(1875年)
明治十四年六月十日 第二回内国勧業博覧会へ陶器造形『舟形置物』出品 四等賞銀杯拝領。(1881年)
明治十八年六月五日 東京上野桜ヶ丘美術協会内において繭糸織物陶漆器五品共進会へ陶器『袋形茶具』出品 銀杯拝領。(1885年)
明治十八年同会において功労賞金二十円拝領。(1885年)
『嘗て薩摩陶器の衰微するに当たり許多の工人離散して生計を失うのみならず、其の陶法の絶滅せんことを惜し私財を擲って工場を設け、
衆工をして再び其業に就かしめ、辛苦経営特産の名誉を回復して今日の良結果を観る。其功労著し因って之を賞す。』
(明治十八年六月五日農商務卿 従三位勲一等伯爵 西郷従道)明治二十三年七月十一日 内国勧業博覧会に陶器出品 二等妙技賞拝領。(1890年)
明治二十三年七月十一日 同会にて二等有功賞拝領。(1890年)明治二十四年五月九日 日本美術展覧会に陶器出品 褒状一等拝領。(1891年)
明治二十五年 アメリカ合衆国にて開催の世界大博覧会へ陶器出品 褒賞銅杯拝領。(1892年)
明治二十六年 北白川殿下ご来臨。(1893年)明治二十八年七月十一日 内国博覧会陶器出品 妙技二等賞拝領。(1895年)同日 同会にて褒状を拝領。(1895年)
明治三十年五月一日 長崎にて開催の九州沖縄八県連合共進会に陶器出品 二等賞銀杯拝領。(1897年)
明治三十年五月十六日 京都に於ける創設二十五年紀念博覧会に陶器出品 有功銀杯拝領。(1897年)
明治三十年十月二十三日 鹿児島県に於ける米外八品品評会に陶器出品 一等賞拝領。(1897年)
明治三十一年五月十四日 日本美術展覧会に陶器出品 二等賞銀杯拝領。(1898年)
明治三十三年パリ万国大博覧会陶器出品 銀杯拝領。(1900年)
明治三十三年九月二十三日 東京に於いて第十五回協議会に陶器出品 銅賞杯拝領。(1900年)同日 同会に於いて銀賞杯拝領。(1900年)
明治三十四年三月十五日 熊本に於ける連合共進会陶器出品 二等褒賞金拝領。(1901年)
明治三十四年九月二十二日 東京上野に於ける第一回全国窯業品共進会陶器出品 二等賞銀杯拝領。(1901年)
明治三十四年十月二十日 京都に於ける第十六回協議会に陶器出品 三等銅杯拝領。(1901年)
明治三十四年十一月一日 緑綬褒章拝領。(1901年)明治三十四年十一月一日 京都に於ける五十二回臨時品評会へ陶器出品 三等賞銅杯拝領。(1901年)
明治三十五年五月十日 京都に於ける第二回全国製産博覧会に陶器出品 二等賞銀杯拝領。(1902年)
明治三十五年九月十四日 東京に於ける第十七回協議会へ陶器出品 褒状一等拝領。(1902年)
明治三十五年九月十四日 東京上野公園桜ヶ丘 浮彫花瓶出品 二等賞拝領。(1902年)
明治三十五年十月 東京上野に於ける日本美術協会に陶器出品 三等銅賞拝領。(1902年)
明治三十五年十一月二十二日 東京上野公園桜ヶ丘に於ける美術展覧会に陶器出品 三等賞銅賞杯拝領。(1902年)
明治三十六年7月一日 第五回内国勧業博覧会に陶器各種出品 三等賞拝領。(1903年)
明治三十六年 仏国仏領インドシナ総督府の企画により一九〇二年河内府に開設したる仏国仏領植民地 東洋諸国博覧会へ陶器出品 一等金杯拝領。(1903年)
明治三十七年 米国セントルイス万国博覧会陶器出品 二等賞拝領。(1904年)
明治三十七年五月二十二日 京都に於ける内国製産品評会へ陶器出品 各種三等賞拝領。(1904年)
明治三十七年十一月八日 戦時紀念五十二回品評会へ陶器出品 三等賞拝領。(1904年)
明治三十九年七月九日 没。享年七十歳 (1906年)
十二代 沈壽官
작품보기
薩摩金襴手 百花繚乱図香合
沈壽官家の歷史
慶長三年(1598年)、豊臣秀吉の二度目の朝鮮出征(慶長の役)の帰国の際に連行された多くの朝鮮人技術者の中に、初代 沈 当吉はいた。
沈家は、慶尚北道青松に本貫を置き、その一族は李朝四代世宗大王の昭憲王后を始め、領議政(国務総理)九人、左議政、右議政(副総理)、
四人等を出した名門である。
薩摩の勇将島津義弘によって連行された朝鮮人技術者達(製陶、樟脳製造、養蜂、土木測量、医学、刺繍、瓦製造、木綿栽培等)は、
見知らぬ薩摩(現在の鹿児島)の地で、祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きていかねばならなかった。
陶工達は、陶器の原料を薩摩の山野に求め、やがて薩摩の国名を冠した美しい焼物「薩摩焼」を造り出したのである。
それらの焼物は、薩摩産出の土を用い、薩摩土着の人々の暮らしのために作られた地産地消のものであり、それらを『国焼』(くにやき)と呼ぶ。
江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、
また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じる独特の統治システムを創った。
沈家は代々、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を輩出した。
幕末期の藩営焼物工場の工長であった十二代 壽官は薩摩藩財政改革の中で薩摩焼の振興に多大なる貢献を果たした。
更に明治六年(1873年)、日本を代表してオーストリアのウィーン万博に六フィート(約180cm)の大花瓶一対を含む幾多の作品群を発表し、
絶賛を浴びた。以来、「サツマ」は日本陶器の代名詞になっていくのである。
十二代 沈 壽官は透し彫り(すかしぼり)、浮き彫り(うきぼり)の技術で明治十八年(1885年)農商務卿 西郷従道より功労賞を受けた。
明治二十六年(1893年)には、アメリカ合衆国シカゴ・コロンブス万博において、銅賞を獲得。
明治三十三年(1900年)にはパリ万博にて銅賞。明治三十四年(1901年)には産業発展の功労者として緑綬褒賞を賜った。さらに、
明治三十六年(1903年)にはハノイ東洋諸国博覧会において金賞、続く明治三十七年(1904年)セントルイス万博にても銀賞を受賞した。
明治三十九年(1906年)七月九日、この世を去る、まさに最後まで、精力的に薩摩陶業に邁進した。
日本陶器の代名詞とまで言われた薩摩焼の総帥でありながら、十二代 沈 壽官は海外の嗜好に決して迎合せず、日本人の美意識を貫き、
最後まで自らを『平民』と称し続けた硬骨の人であった。
十二代 沈 壽官の死を受け、長男の正彦は尊敬する父の名を襲名する事とし、明治三十九年(1906年)十三代 沈 壽官を名乗る。
しかし明治四十三年(1910年)に韓国併合が行われる。朝鮮人陶工を始祖にもつ苗代川陶工達にとって厳しい時代背景の中、偏見と差別の中で誇り高く、
そして誠実に父祖の業と伝来の作品群を守り抜いた。
大正十一年(1922年)より昭和三十七年(1962年)まで四十年間に渡り、苗代川陶器組合長として薩摩陶業の発展に尽くした。
その孤高の生き様は、現在の沈壽官工房の礎となっている。
昭和三十八年(1963年)に産業発展の功により県民表彰を受賞。翌昭和三十九年(1964年)没。
十三代 沈 壽官の長男 恵吉も昭和三十九年『壽官』を襲名。十四代 沈 壽官を名乗る。
昭和四十三年(1968年)十月 作家 司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』の主人公としても登場。
昭和四十五年(1970年)大阪で開かれた万国博覧会に白薩摩浮彫大花瓶を出品し、好評を博す。
平成元年(1989年)には明仁天皇陛下より、日本人初の大韓民国名誉総領事就任を承認された。また、
平成十年(1998年)に行われた国際的イベント『薩摩焼400年祭』の成功により、
金大中大韓民国大統領閣下より民間人としては最高位にあたる大韓民国銀冠文化勲章を受章した。
薩摩焼の名を再び全国へ認知させた功績は実に多大なものがある。
平成十一年(1999年)一月十五日、十四代 沈 壽官存命中のまま、長男 一輝が十五代を襲名し、『壽官』を名乗る。
十五代 沈 壽官は昭和五十八年(1983年)早稲田大学を卒業、昭和六十三年(1988年)イタリア国立美術陶芸学校を修了。
平成二年(1990年)大韓民国京畿道 金 一萬土器工場(現五父子雍器)にてキムチ雍製作修業。
同年十二月 大韓民国大統領盧 武鉉閣下ご夫妻の御来窯の名誉に浴した。
沈壽官家 系圖
沈壽官家については『公爵島津家編輯所』の中で、「当吉ハ実ニ壽官ノ祖ナリ 二代当壽三代陶一執レモ陶器所ノ主宰タリ殊ニ
三代陶一ハ技術精錬ノ故ヲ似テ 藩主名ヲ陶一ト命ス 四代陶園五代当吉共ニ止マリ六代当官ニ至リ亦主宰ヲ命セラレ 郷役組頭ヲ兼ネ
八代当園陶工ヨリ主宰ニ上リ 九代当栄主宰郷役々人ヲ兼ネ云々」と記されています。
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