浜田庄司 쇼지 하마다 (Shoji Hamada 1894 ~ 1978) 1894-1978。神奈川県川崎市に生まれる。 1913年、東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学し、 上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。 卒業後は河井と同じく京都市立陶磁器試験場に入所。柳宗悦とは 1919年、我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に出会う。翌年、 リーチとともに渡英。 セント・アイヴスで作陶生活を送る。帰国後の 1924年、京都の河井寛次郎邸に滞在中、柳と河井を引き合わせる。 同年、確かな生活に根差した製作の場を求め、 栃木県の益子へ居を移し以後活動の拠点とする。 濱田は、柳、河井とともに民藝運動を推進した中心的存在であり、 同時に民藝理論のよき実践者であった。物心両面から民藝運動を支え、 1961年 柳の没後には日本民藝館館長に就任した。 日本民藝館が所蔵する濱田庄司の作品は..